歴史的建築物は重要文化財に指定されており武田家縁の宝物である日本最古の日の丸や風林火山の旗などを展示しています

由来と歴史

1200年以上にわたる歳月をたたえた古刹として、当山の開創にまつわる寺伝と歴史をご紹介します

当山の開創
臨済宗妙心寺派に属する裂石山雲峰寺の開創は天平17年(745)。日本の歴史上初めて朝廷から大僧正の位を送られた僧行基(668〜749年)が成したといわれています。寺伝によれば行基が修行に訪れた同年6月17日の夜、霊雲が烈しい光を帯びて当山の上にまたたき、山や谷を大いに震わせたといわれています。そして、山中にある高さ15メートル余りの大石がにわかに真二つとなりました。巨大な石の裂け目からは萩の大樹が生え、さらには石の上に燦然と十一面観音が出現したといわれています。それを目の当たりにした行基は、崇高な心で萩の樹を切り取り十一面観音の尊像へと彫刻し、一庵に奉祀しました。当山開創の由来となるものです。大菩薩峠や萩原といった周辺の地名も、この由緒に基づいていると伝えられています。

当山の歴史



当山の歴史
開創当初は天台宗に属していた当山はその後、いつの頃からか甲斐源氏による武運長久の祈願寺として深く崇敬され、禅宗へと転じることとなります。室町末期の天文年間(1532〜1554)に入ると火災によって諸堂すべてを消失しましたが、その再興に向けては武田信虎が印判状(現存)を与えて励ましたといわれています。時の紹謹禅師をはじめとする寺僧などが尽力して全国に勧進のうえ、やがて伽藍は再建。永禄元年(1558)には武田信玄が武運長久を祈願する文書を納めているので、完成はこの頃と推定されます。また、現在の本堂、庫裏、書院、仁王門はこの時期の建立と考えられています。

天正十年(1582)には武田勝頼が一族とともに天目山麓の合戦で敗れ自刃。その折、家臣たちが再興を期して武田家の重宝をひそかに当山へ納めたといわれています。後令泉天皇から清和源氏源頼義へ下賜された日本最古の「日の丸の御旗」をはじめ、武田の軍旗「孫子の旗」、「諏訪神号旗」、「馬印旗」といったこれら武田家の重宝は現在でも、平成8年に新設された宝物殿内に保存されています。

昭和24年には本堂、庫裏、書院、仁王門が日本の重要文化財に指定されました。また、昭和29年4月からは満4ヵ年余りをかけ、永久にその価値を後世に伝えんと大修理解体工事が行われ、旧規に基づいて本堂が復元されています。